風景画5〜8月
2008年5月

船で鴛泊り(おしとまり)港に入ると右に小高い山があり、名前はペシ岬「アイヌ語」で崖と言う。地元ではゴリラ山とも!93m

利尻は、アイヌ語の「リイシリ」が訛ったもので高い山の島と云う意味だそうです。中央にそびえる山の美しさは富士山をも
しのぐと言われ、島の人は利尻富士と呼んでいます。  一番高い所が1721mあり縦に18k横に16kの楕円形の島!面積は
約190平方kmあるそうです。 島の人口は2008年現在で約5700人!毎年過疎化が進み人数が減っていると聞いた。

5月16日 私が仮住まいしていた裏は利尻山!窓を開け写真を一枚撮っておく!この時はかなり寒く ストーブを点けていた。 
夕食には漁師から頂いた、毛がに、帆立、鮑、刺身、ソイの煮付、芋ハムサラダ、枝豆、ナマコのおつまみで、酒とビール、
焼酎も呑んでいた。♪ 痛風と糖尿には好ましくないのを分かっているが・・・意志が強いので食べるのも飲むのもやめない。

6月16日, 晴れ、日本人に初めて米語を教えた碑 // 野塚岬で,ラナルド・マクドナルド上陸記念碑を撮る。

晴れた日に、ポンモシリ(小さな島)と言う意味、後方に礼文島が見え夕日がこの島に落ちるのが、
綺麗なんです。      ペシ岬灯台は,1869年(139年前)につくられ 35k 沖まで照らしています。

この島はおよそ200万年前に火山活動が始まり、約2万年前に活動は終わり
     7千年前には、死火山になったそうです。那須火山帯の北限の地でもあります。   
    

沼の周囲は約800mぐらいで20分ぐらいで一周できます。 風の無い晴天時 水面に写る利尻富士が本当に
綺麗なものです。   今の時期から9月頃までカモメやウミネコがこの沼に体を洗いに来るんですよ。

NO2へ続く

五月の半ば、千歳空港から利尻島へ飛んだ!天気は薄曇 利尻島に降りた時、寒かったのを覚えている。
利尻山を見ると、まだかなりの雪が残っている・・・この島全体が寒いのだと分かった。

島の主産物は、昆布、ウニ、鮑、帆立、ホッケ、ナマコ、イカ、タコ、鮭、カレイ、など20数種類の水産に恵まれ 観光客は、
6月〜8月の3ヶ月の間に20万人程、観光に訪れています。 海や空が荒れると島から出る事が出来ず焦る事もあります。          

5月19日 霧雨 山には雪が残り肌寒さを感じる。鴛泊湾を走って見るが湾内全体がモヤ?に覆われて霞んで見える。

5月21日   朝は曇っていたが だんだん天気は良くなる。港の小さな舟は磯舟と言って昆布やウニを採るのに
           使われている舟です。 日当りのいい一部の場所では チューリップの花などが 咲き初めてきました。

5月23 曇り 17℃ 姫沼に来て見る、この沼は大正6年に 3つあった池を一つにした人口沼で,そこに姫鱒を放流したのが、
     名前の由来だそうです。その後、発電所に水を送るため水位を3m程上げて、鯉、鮒、ヒメマス、放流したと聞きました。

姫沼周囲の散策路、木道が新しく出来、泥濘も無く歩き易くなり、花の観察もしやすくなったようです。
         ミズバショウ、オオバナエンレイソウ、ザゼンソウ、リユウキンカ、ワタスゲ、なども咲いていました。

1848年6月27日、アメリカ捕鯨船プリモス号に乗っていた. ラナルド・マクドナルド25歳は船が蝦夷地(北海道)の西海岸に近づくと、
単独でボートに乗り捕鯨船を離れる!7月2日利尻島に漂流を装い上陸し保護され、ラナルドは島から松前を経由し長崎へ送られ
10月11日到着 長崎奉行の取調べや通詞たちがラナルドを訪ね、 ラナルドは森山栄之助らに米語を教え、自分は日本語を習う

1849年4月26日
、アメリカ軍艦プレブル号が遭難者(他もいた)の救出に長崎港に入り、捕鯨船ラゴダ号の船員と共に帰国をする。
其の5年後、ペリーが浦賀に!森山栄之助らが通訳に努め幕府の連中に解り易く説明して日本の危機を救ったと書かれてあった。   

一週間の内4日は曇る天気の悪さ!利尻富士の写真を綺麗に撮れた人は運の良い人です。   








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